2012年9月24日 35時58分 はれのちあめ 日直:あかばね
「理屈っぽいね.」
たまに自分に対してこの言葉がふと頭をよぎる.
だけど一方で「家」に対しての理想みたいなものは実に感覚的で,
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例えば道路から玄関までのアプローチはある程度欲しい.
飛び石を一つ一つ踏みながら,脇には季節感ある多種多様な緑があって,
春は新緑の独特な黄緑や,雨の日は石が濡れて本来の姿を現す.
そんな風景を視界に入れながら中に入るまでの気持ちを切り替えたい.
例えば空間は山小屋のように木材に囲まれていたい.
木材の凸凹が裸足で歩いていると足の裏からいっぱい伝わってくるような床,
意味も無く抱きついたり,寄っかかってうたた寝してしまうような大黒柱とか,
仰向けになるとくねくねして癖があるけどもびくともしない梁はむき出し.
一本一本性格や表情が違う自然の木を構造的に組み立てる棟梁の技術は実に見事だ.
例えば日本のしつらえは失くしたくない.
部屋と外を繋ぐ縁側で天候とか気候とか季節とか時間を感じたい.
晴れたらぽかぽかと日光浴しながら鳥の声をBGMに昼寝を.
雨の日は軒の下で落ちてくる水滴を目で追っかけたり雨音を聞きながらぼーっと.
例えば自分で使う道具は出来るだけ自分でつくりたい.
作業机とか椅子とか治具とか照明とか,
普段のものづくりで必要なその道具たちが自分の身の丈になる.
例えば自分で食べるものは出来るだけ自分でつくりたい.
お腹が空いたら縁側の先にあるお庭から必要な量だけ掘ったり摘んだり.
お互い足りないものはご近所さんと物々交換で.
その食材達はおいしいに決まっている.
例えばその家には人を呼びたい.
子供は大好きな友達やパートナーを呼び,
母親は明るく場を和ませ,
父親は若者の意見に興味津々.
そんな場には笑いあり涙ありでみんな表情が豊かだ.
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などなど,
理想よりも妄想に近いこの一つ一つの「家」の情景に特別な理由はない.
全てなんとなくだったりする.
でも,もしこんな暮らしを体現してくれている人が目の前に現れたら,
たとえその人が誰かに説明することが苦手だろうが,
自分に対してまだ自身がなくて臆病だろうが,
何かに対してど素人だろうが,
その人が説明出来ずに「いい」と言ったものも「いいかもね」と,
理屈っぽい自分もその人の直感を信じてみたくなる.
こんな人,本屋さんに居たりして.
なんてね.